和洋の意匠が見事に調和、見どころ満載 <旧山本家住宅>

山陽網干駅から南へ歩きしばらくするとそれまでの町並みが一変。旧室津道を西へ歩みを進めると、寺社や蔵のある大きな屋敷が点在するようになる。そんな伝統的な通りの中に旧山本家住宅は佇んでいる。この辺りは、江戸時代は丸亀藩(香川県)の飛び地で、武家屋敷が連なっていたそうだ。

この日は雨だったが、シャクナゲやツツジが水滴をまとって色鮮やかに映えていた
随所に日本の伝統技法が息づく、重厚な和風の玄関。ドアはクラシカルな洋風

現在の姿は網干銀行頭取や網干町長を務めた山本真蔵氏によって整えられた。600坪余りの敷地内に建築面積は240坪余り、広々とした庭園も美しい。明治5(1872)年建築の主屋、大正7(1918)年建築の洋館、離れ和館、土蔵2棟が接合される配置になっていて、平成元(1989)年7月に姫路市都市景観重要建築物等第1号に指定された。

調度品には彫刻刀で緻密(ちみつ)に彫った溝へ別の木材をぴったりとはめ込み、模様が作られている
姫路の革細工が施された、小だんすもある

洋館は当時「迎賓館として、神戸より西にない建物に」と、宮大工たちが3年かけて完成させた和洋折衷の建物。1階にある応接室は精巧に造られていて、真蔵氏自らの指揮で、炭暖炉の熱が天井四隅から送り込まれる、いまでいうセントラルヒーティング機能を完備。書斎には秋の七草をモチーフにした見事なステンドグラス、姫路の革細工を施した小だんす。和室には日本に数台しか残っていない貴重な金庫など、家具調度品もそのままの状態で展示されている。

南側の和室

続いて、2階へ。南側の部屋は床の間と付書院を持つ正統な和の意匠。床の間には小野周文をはじめとした網干が誇る3人の画家の掛け軸が公開されており、貴重な見どころの一つ。日本画に使われる「絵絹」を用いたランプシェードも当時のままに保存されている。

北側和室のガラス。手づくりゆえの絶妙な偶然が美しい模様を描き出している

北側は建物を訪れた際に最初に目にした洋風の出窓部分。室内は落ち着いた和室となっている。欄間(らんま)には真蔵氏からのある問いかけが隠されている。その答えを、ぜひ現地で見つけてほしい。

山本家はマッチ製造で財を成した

当主だけが入ることを許された3階の望楼には、2つの窓が。北側にかつては外庭があり、自身が営むマッチ工場、遠くには姫路城の一部を望むことができたそう。西側には丸亀藩の陣屋があり、四国からの物資を運ぶ船が到着する様子が一望できたという。

京都の絵師による大和絵が描かれた440枚の貝殻。ボランティアのみなさんが一枚ずつほこりを払って復元した

今回、案内してくれたのは「網干歴史ロマンの会」ボランティアガイドの加藤順弘さん。「建物の基礎設計を手がけたのは神戸の企業でしたが、内部のデザインや意匠は真蔵氏自らが宮大工と練り上げたものだそうです。そして、並々ならぬこだわりを形にしたのは、網干の職人たちの卓越した技術でした。地元を愛する方々の技と思いが、この建物には凝縮されています。」と語る。

炭暖炉の上には大きな鏡。窓からの光を反射させて室内を明るく演出する工夫で、その木枠には価値の高い黒柿(くろがき)が使用されている。翼を広げた孔雀のような模様の、希少な「孔雀杢(くじゃくもく)」が見られる

厳選した上質な素材と、職人の洗練された技術がさえ渡る見事な意匠。この空間には、賓客を最高の形でもてなすための、妥協なき美意識と気配りが込められているように感じた。

※2026年6月11日(木)時点の情報です

エスコート編集部
エスコート編集部

ライターから一言

周辺には網干陣屋門跡、大正11(1922)年建築の水井家住宅などが点在しています。
通りを歩きながら、明治時代の網干の産業の繁栄、レトロな昭和の思い出を感じてみては。

館内ガイドは15人、清掃は30人で大切に維持・活動しています。一般公開は第1・3日曜です。
入館時はガイドが必ず同行し、詳しくご案内させていただきます。明治・大正の息吹がそのまま残る空間へ、ぜひ一度お越しください。

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仲良く歩く女性たちのイラスト